吾唯足知☆シングルママの小さな幸せ☆

40歳で人生の転機を迎えたゆってぃの日々の出来事と心の成長の記録です

学校教育について悩む

息子の登校状況が思わしくない状況で、現在、一日おきの登校です。

 

日々思う。

先生個々は悪くはない。子供たちの事を思ってくれる先生もいる。

でも、列からはみ出す生徒をなくしていく教育って、本当に必要???

画一的に学ぶ必要性って何??

学校の話を聞くたびに、昭和の戦後のやり方的で、個を見ず集団を見ている気がしてならない。

 

私も、中学校は嫌いではあった。

1年生はこの靴じゃないと「目をつけられる」とか、必要以上に先輩にこびへつらうとか。勉強は嫌いじゃないけど、何その意味不明なルール・・って思っていた。

だから、部活もすぐにやめた。唯一、クラブ活動でやりたいことを見つけ、そのためだけに3年間を頑張った。

 

子供たちの通学する学校は、授業は簡単でつまらない。のに定期テストは難易度の高いものが出る。(授業ではやらないワークの応用問題とか)

成績は、8割はテストの点数なのだそう。

部活は、一部だけが真剣で優遇されていて、他はぐだぐだで、会議や先生の都合で当日なくなることが多々ある・・。

一部の部活で全国や世界を目指す子以外は、やる気の出ない学校な気がします。

クラスに2人くらいの割合で不登校の子がいて、問題のない娘でさえ、学校はつまらないという。

 

息子は、入学して3ヵ月になり、ぎりぎりのところで頑張っている気がしています。

登校できなければ、学校で問題を起こすなら、不登校でもいい。

笑顔がなくなってしまうなら、無理に学校に行かなくていい。

そう思う。

 

子供たち二人とも、「勉強することは嫌じゃない」「友達はいい」といいます。でも、学校は嫌い。と。

13-15歳の大事な時期を、「我慢すること」を学ぶための学校生活に使うのは本当にもったいないと思えてならない。

 

我慢することも大事だし、人と合わせることも必要だけど、それは「個性」をなくすことじゃあないと思うのです。個々の先生はそんなことはないとは思うのだけれど、中学校での指導、教育はとにかく「イレギュラーをなくし、全員同じことをする」前提で進んでいます。

多様性を認める時代において、その多様性を認めつつも、うまく折り合いをつけていく方法を学ぶものだと思っていたのに、学校の先生は多様性を認めるつもりはない、感じですね・・・。

 

フリースクールも考えているのですが、調べてびっくり。

民間のフリースクールはバカ高いのですね・・・。

それなら、今通っている個別指導塾で、教科を増やしたらそれでいいかな。と。

 

実は、学校のやり方に疑問があることは、連絡して、謝罪とともに学年、学校全体で改善をしてもらっているものもあります。・・このままでは、私、クレーマー保護者になりかねないのですが・・。

でも、学校としてすぐに改善に動けるというのは、クレーマーではなく、正論なのだろうと自分で考えているのですが・・・。

逆に、皆さんが学校のやり方に疑問がでないのか、不思議で仕方がないけれど。

 

ただ、担任、学年主任、副校長とやり取りしていて、子供からの話も聞いて思うのは、

先生方の力量不足はあるけれど、それ以上に管理職の力のなさな気がしています。

先生方の指導が真逆で、子供たちが困ってしまっているのです。教科の先生にある程度任せていたとしても、その先生方それぞれのやり方の違いによって、子供たちが注意をうけるというのはあってはならないと思う。

 

現実社会ではありうることだけれど、逆に指導として社会を見据えたものなのであれば、もうすこし子供たちに自由を与えて、さまざまな面において社会を見据えた指導をすべきと思う。

 

家庭でも、仕事でも、スポーツでも、「人を育てる」ことって本当に大変で、時間もお金もかかるものだと思う。教科書では教えられない子供たちの教育に大切なものを学ぶのが義務教育と思っていましたが、いまの教育に対して疑問ばかりが浮かんでくる。

先生方が大変なのも十分わかるけれど、先生方の忙しさの多くは現場をみていない上の方々の決めた「現場に則さない事務作業」な気もしている。

 

公立の中学校が、もう少し子供たちの個性を理解し、互いの個性を認め合い、協力し合い、深い関係性を結べる楽しい教育現場になってほしい。

 

 

 

翡翠探し☆朝日海岸

先月の話になりますが、富山県の朝日海岸にヒスイを探しに行ってきました。

 

ヒスイは日本の国石であり、日本で唯一自由に採取できる場所が、新潟県富山県の境にある通称ヒスイ海岸なのだそう。

無数にある海岸の石から宝石の原石を探すのって。。。。とっても心惹かれます。

 

息子は石が好きだし、娘も石や天体などが大好き。

これは行くしかないでしょう!

と、天気予報は曇り&雨だったのですが、どうせ海岸で濡れるだろうし・・・。

 

道すがらも、山藤がきれいに咲いていたり、道の駅でお土産を見てみたり、妙高の山並みに心を洗われたり・・・

流れゆく景色を見ていても、旅っていいなぁって思います。

 

6時間ほどのドライブの後、降り立ったのは糸魚川市

目的はヒスイを探しにきたわけで、観光の旅に来たわけではないのですが、すこ~しだけ心配になりました。いや、申し訳ないのですが、キャンプとかしたことないし、自然が豊かとはいえ、何もないところで大丈夫かな~・・・と。道中が旅っぽかったから余計に。

 

でも、そんな心配は海岸についたとたんに払拭でした。

 

石の海岸なので、海水は濁らずとてもきれい。

そして、日本海なのに、とても穏やかで静か。日本海って荒波ってイメージだったので・・。(でも、この日はいつになく凪だったみたいで、ヒスイ探しには波がないのは石が動かないからあまりよくはないみたいです)

 

まずは、ヒスイテラスで翡翠ってどんなもの?っていう事をお勉強して、テラス前の海岸に行ってみました。

この石たちの中に宝石があるって、考えただけですごくないですか??

でも、最初は見つけたい!だけでしたが、だんだんと、気に入った石があったら、それだけで宝物だなぁと思うようになりました。

 

ヒスイ採取は、この海岸の石たちの中から探すし、波打ち際で探すので、「ヒスイ棒」と呼ばれるグッズをつくるのですって。

箒の先をおたまとかザルとかに付け替えるのですが、もちろんそんなものは販売していないので、手作りで作ります。

息子は、この手作り作業も好きみたいで、頑張って作っていました。息子の秘蔵の六徳ナイフがやっと日の目を見ました。

 

 

このヒスイ海岸では、ヒスイ以外にもいろいろな石を採取することができ、ヒスイテラスとフォッサマグナミュージアムには石の鑑定士もいるのですって。

2日間の採取で、一番見つけたのは石英斑岩。メノウや流紋岩も見つけました。

ヒスイは見つからなかったけれど、同じ日に同じ場所で見つけている人もいるので、見る目がないだけってことなんですよね。

そう考えると、再チャレンジしたくなる。

 

さて、その日の夜は、キャンプはハードルが高いので、外に食べに行き、ついでに温泉も近くにあるというので、行ってきました。

温泉は、地元の方が多いようで、大浴場に入ったら「こんばんは」とおばあちゃま方が声をかけてくださるんです。ほっこりしますよね。

 

すると、偶然にも素晴らしすぎる夕焼けが!

 

すごくないですか!?

もう、とっても感動的で、言葉にならない。

 

何度も言いますが。。。

今回目的は、ヒスイ探しっていう・・石拾いなんです。

でも、道中の景色や体験が本当に最高すぎて、素晴らしい旅経験になったんです。

 

夜、バンガローの前に椅子とテーブルを出したら、息子が大喜び。

まぁ、お供は携帯とパインアメっていう子供なんだけど、雰囲気が好きみたい。

 

 

そんな姿を眺めながら、外でビールを飲んでいると、キャンプがブームになるのもわかるなぁと・・。

翌朝はカセットコンロで朝食を。

ソーセージとコーヒーと卵とパンという簡単なものですが、これが最高ですね。

 

 

キャンプをしたいとは思っていても、ご飯やお風呂やトイレに不安がある私たちにとても最適な形で提案してくれた感じで、とても楽しかったです。

 

さぁ、この日もヒスイを探しに行きます。

この日は親不知海岸、須沢海岸に行き、がっつり探します。

 

がっつり探したら、お腹が空いて、親不知海岸の道の駅で紅ズワイガニ天丼を。

美味しそうだなと思ったけど、あまり期待をせずに頼んだら、これ!!

ちょっと興奮してしまいます( ´艸`)

 

 

ここは、最大級の翡翠の原石も展示されています。

中央、緑になっていたり、右側紫になっていたり、キレイですよね・・・。

 

お昼過ぎまで探しましたが、今回はヒスイは断念して帰りに温泉によって帰宅することに。

 

帰り道の佐久平PAには温泉施設が直結しています。

こんな長いエスカレータを上っていくのですが、これもまたいい!

 

昨日は海に沈む夕日でしたが、今度は山に沈む夕日を眺めながらお風呂に入れます。

 

 

しつこいですが、

今回は石探しに行っただけなのですが、諸々最高で、すごく楽しく思い出に残る旅になりました。

わりと旅は楽しいのが当然だと思っていて、本当に記録として残すくらいしかしないのですが、今回は予想以上に楽しかった、のかな、なんだかとても印象深いです。

 

プチキャンプ、ヒスイ探し、温泉、の組み合わせ。

本当によかったので、またいきたいなぁと思っています。

 

 

人生で大切な人☆40歳を過ぎての恋愛

18歳から6年間ほど、深くふかく人を好きになり、お別れした人がいます。

 

遠距離も経験し、その後同棲もして、たぶんお互いに浮気のようなこともあり、たくさん傷つけあって、悩んで・・・お別れは彼からで、はっきりとした理由は聞かされていません。が、きっとお互いの成長の為に決断したことだったのかな、と思います。

 

その後、数人の男性とお付き合いしましたが、みんな人間として好き、裏を返せばどの人のことも特別に好きではない、この人が好きだ!という感情がわかない、という状態でした。

大恋愛をしてしまったので、彼以上に好きになれる人はいないのだとあきらめた感じです。

 

その人とはお別れしてから、約4年程連絡を取っていませんでした。失恋から立ち直るのに3年を要し、やっと別の人と前向きに付き合い結婚することになったのですが、そこで初めて「今の自分があるのはあの彼のお陰だ」と思い至り、婚約者(元夫ですね)に了解をとり、彼に会いに行きました。

あなたのおかげで成長できたと感謝を伝えて、何かあったらお互い助けになろうと、話しました。きっと会うのはこれが最後だろうなと思って、後悔がないように感謝を伝えたいと思ったのです。

 

当時は携帯の番号が変わることもよくあったし、お互いに連絡先を削除していたはずですが、私の頭の中には彼の携帯番号がしっかり記憶されていたし、彼もまた着信の番号を見て私だとわかったそうです。

 

それから5年後、(元)夫の不倫が発覚し、男友達として、5年振りに連絡をし話を聞いてもらいました。不倫って、女性の観点と男性の観点ではやはり違いが生じるので、リアルな話を聞きたかったのです。そして、彼の方もその5年の間に結婚し家を建てて、義理の両親と同居をしていました。この時、たぶん、お互いに理性が働き、心が弱っているときは会ってはダメだと思い、いつも電話だけで話していました。

 

そして、(元)夫との不倫からの再構築に至って初めて、6-7年振り?に会うことにしました。下心がないことを示すためではないのですが、子どもたちも小さいので、自然と約束は休日のランチタイムになりました。

奥様は気にされないのか?と聞いたときに、家族としての責任を果たしていればお互いに自由にしてるから、と。

 

そこからは1-2年に1回ペースでしか会っていないのですが、会うたびに元気をもらえる懐かしい友達、会うと前向きになれる人生においてとても希少な友達、という存在でした。

会うときは、「元カレ」なので、もちろん懐かしいエピソードもあるし、近況を聞いて、感心したり共感したり。。。あらたな自分の発見があったりはしますが、あきらかに恋愛感情や未練ではなかったはずです。

ちなみに、離婚時は決断から諸々の整理がつくまでは会うこともせず、落ち着いたら連絡するねと伝えていました。

 

今回、子どもたちと一緒に2日ほど行動を共にしたのですが、やっぱり心から好きなんだと気付いてしまったのです。

最初は、自分が離婚したから自分に都合が良いように考えようとしてる、と思いました。

でも、諸事情から子どもをつくらない選択をしたこと、

奥様のご両親を大切に思い老後を見るつもりで二世帯住宅を経てたこと、

奥様とはお互いに自立した生活を送っていて「それぞれ自分の仕事や趣味を楽しみ、お互いに好きなことをする」としていること、

全てをひっくるめて、彼のことが好きだと感じました。

 

彼は人間が好き、人の成長を見るのが好きなので、

子どもを持たない、という選択はなかなか覚悟のいる選択なのだと思います。逆に子どもの立場を考えるからこそ、子どもを作らないと決めたのもとても理解できます。苦しみの先の夫婦の選択なんだと、こちらも苦しくなりました。

 

奥様というよりも、奥様を含めたすべての人間関係を大切にする人。そんな彼が好き、だから、彼を独占したいとも思わない、離婚してほしいとも、頻繁に会いたいとも、思わない。私に子供たちがいるように、彼にとっても家族が大切なのは当然。ただ、ただ、この先も大切な人として、関係性をつづけたい。

というか。。。私がこの世を去るとき、知らせてほしい人で、逆に彼に何かあったとき、最後に一目会いたい人。(ぶっちゃけ、これがすべて)

 

会うと前向きなパワーをもらえるから会いたいけど、会わなくても連絡をとらなくても、相手が元気にしているのならそれだけでいい、とも思う。

 

彼の思いは聞いてはいないけれど、会話の中で、彼もまた私への感謝の気持ちがあり、今があるのは私から学んだからというフレーズがちょいちょいでる事から考えて、同じ思いを抱えていると思う。

 

絶対的な片思いなはずですが、不思議なもので、つらくないんですよね。逆に、もう、誰かにたいして「好きだ」と思うことはないのかもと諦めかけていたので、ちゃんと感情があることに喜びを感じたし、家族ではないのにこれほど人を好きになれることって素晴らしいことじゃない?と、なんだかうきうきしています。

 

 

学校との面談

息子の担任と学年主任の先生との面談に行ってきました。

 

担任の先生としては、前回ブログの理由1のけがを重く受け止めたこと、と、1-4の出来事を「その度に指導をしているけど改善しないので、今後どうしたら良いか?」ということで、親子共に面談を実施したようです。

 

まず怪我については、申し訳ない気持ちはある。

が、目の角膜に傷がつく、というのは、よくあることでゴミが入っても傷が付くわけで、あまり大きな怪我ではなく、それがきっかけで眼病になることはあるから目薬等を処方されるのだと思うのですが。。。

 

お友達へのちょっかいが行きすぎたり、破壊してしまうのは少々行きすぎた行為で、それについても申し訳なく思う。

 

ただ、1-4の理由については、すべて別の理由があり、「指導したのに、また同じことをした」ということではないことをお話ししました。

もちろん、ちょっかいや物を壊すことを良しとはしませんが、彼がそうしてしまったときにどう対応するのかも、子供たち同士のやりとりで見守りたい思いがあるということもお話ししました。

 

私の話を担任の先生も学年主任もきちんと受け止めてくださり、

・確かに理由2の子のことで指導した後は、その子にはやってない。

・理由3の子に関しては、やられた本人も「やめてほしい」という意思表示はしていない。

・理由4の子は、本人が本当に困ってるとか嫌がってるという感じではないけれど、人の物を壊すという行為に対しては指導しました。

 

そして、理由1の子。

怪我につながってしまって、学校の責任もあると考えたのだと思うのですが、そもそもきっかけを作ったのも、手を出したのも先方なので、息子に人に手を上げないこと、と約束させても根本的な解決にはならないのではないか?とお話ししました。

 

5年生の時に実際にあったケースですが、うちの息子は人と違うことをしてみたり、普通の使い方ではない使い方をしてみたり、周りの子供たちからみると少々不思議な興味の対象になってしまうようです。

そこに、興味を持ちながらも自分ではそうできない子供が息子に対し批判したり、言いつけたり、少しでも目立つところを打ち砕こうとしたりした結果、けんかになり、やられたからやり返すと事態が大きくなっている。

 

理由1の子がどうかはわかりませんが、息子以外から聞く話を総合して考えると、そういうケースなのかな、と想像しています。

と、お話ししたところ「そんな感じがあります。なぜ、○くん(息子)にそんなにひっかかるの?と思うことがあります」と。

 

こうやってお話ししてみると、

同じに見えていた景色がそれぞれ違うものであることや、息子の特性と他の子供たちの特性の違いであり、息子が問題児だから起こったことではないことがわかってもらえました。

 

息子の問題は、お友達トラブルよりも、

精神的負荷がかかったときに睡眠で回復していくので、朝の登校が心配なこと。

少し歯車が噛み合わなくなると、心を閉ざして話をしなくなってしまうこと。

感情コントロールが苦手であること。

他動傾向があるため、時折落ち着きがないことがあったり、いろんなものに手を出してしまうこと。

そういった面になります。

 

1時間くらいの面談なので、すべてを話しきれませんでしたが、今後に関しては、問題行動のある場合、本人に指導をしますが、家庭と学校で何かあれば連絡を取り合う形で協力して成長を助けていきましょう。ということになりました。

 

発達障害かもしれないし、そうではないかもしれない。

普通の指導、教育を望んでいるけれども、普通からはみ出てしまう部分がでてしまうかもしれない。

今回「今の学校教育ではできない」という結論ではなく、「家庭と学校で協力していきましょう」と言ってくださったので、なんとか、このまま3年間を過ごしてほしいと思います。

 

学校からの呼出と大人の発達障害

大変調子の良かった息子なのですが、

早速学校からお呼び出しされました。。。

 

理由1

女の子とケンカして、蹴られたからやり返したところ、少しあざになってしまった。

 

理由2

 お友達へのちょっかいが多く、保護者から心配だと声があがっている。

 

理由3

とある子のシャーペンの芯を折って、使ったら芯がボロボロという遊びをしていて、先生に報告がいき、指導をうけた。

 

理由4

とある子のペンを分解して謝らずに返した。

 

 

という事が重なったのだそう。

まぁ。。。。確かに悪いは悪いのですが、親を呼び出しほどのことか?と疑問には思っています。

 

理由1の子は、そもそも毎回喧嘩をふってくる子であり、耐えかねて言い返したら蹴ってきたらしく、お互い様という気がしています。

 

理由2、3は、中学生にもなって、そのようなことで大人の介入ってどうなの。。。。と、そちらの方が心配しています。ちなみに、息子が言うには確かに2の子にはふざけ過ぎたようですが、基本的には本人から拒絶があればその時点でやめるようにしているそうです。

 

理由4は、仲の良い子でお互いにふざけてるから問題がないけど、見ていた誰かが言いつけた。

 

喧嘩して手をあげるとか、けがをさせる事。

人のものをわざと壊す事。ちょっかい出すことでコミュニケーションを計ろうとする事。

それらに対しては、これまでも、これからも家庭でも指導はしていきますが、息子はそれによって友達とのコミュニケーションがとれなくなっているわけではないので、友達関係のことはよほどのことでない限り見守るつもりでいます。

 

発達障害と明確に診断を受けたわけではないし、学習やコミュニケーションに於いて著しく困難なわけではないし、普通の指導で良いのですが、「普通」の枠から外れてしまうことがある。(そもそも普通って何?とは思うけれども)

それを説明するために、先生方との面談に行ってきます。

 

理解のある先生方でしたら良いのですが、

1-4を同列に並べて家庭での指導を、とか、品行方正を求める指導なのであれば、現在の中学への登校事態を考え直したいと思っていて。。。

実際、通っている学校ではクラスに2名くらいの割合で不登校が発生しているのです。

不登校の理由は本当に様々だと思いますが、小学校の頃の校長は色々な問題を抱えた子を校長室で受け入れて、多様性に対応してくれていました。

 

小学校と同じようにしてほしいのではないけれど、学校教育の中で、画一的ではなく、多様性を認めて欲しいと思います。女子制服のパンツの選択のような目に見える多様性への対応は認めるものの、内面的にはわかってもらえないのが現状です。

 

でも、今、仕事上で大人の発達障害と思われる人の相談を受けるケースがかなり多発しています。

結局は企業として、その人を受け入れる場合には配置を変えたりできる仕事を与えなければならないわけで、給与に反映させたり、フォローアップしなければならないので、なかなか難しい。

 

本当は、小中学校では、画一的に学ぶことよりも、人間教育として、その子の道筋を見いだせるような、苦手部分を自分で説明したり対処したりできる力を付けて欲しい。集団の中での生活で、自分が困難な部分をわかり、困難な分野に対してできる方法を見つける。

 

息子はこれまでの小学校生活で、失敗を重ねながら対処できる術を少しだけ学んで、だからこそ、中学で本人的には調子が良かった部分があるんだな、と今回息子と話して実感しました。

 

うちは息子がこんな子だから、世の中の、大人の発達障害の二次障害であろう事で苦しんでいる人と、その人を雇う側の話を聞いて辛いです。

実際には、やはり二次障害で苦しむ人は心療内科薬物療法、雇用する側としては配置換えや勧告の上退職を勧めるというのがリアルです。

 

発達障害のケースにもよるのだろうけれど、

その子の得意不得意を認めて伸ばして、自立したときに自分で説明ができ、得意部分を活かせるような、そういう教育であってほしい。

それは、発達障害ではない子供であっても、良いことだと思うのですけどね。。。

国立博物館☆建築物としても素敵!

蔓延防止も開け、卒業式謝恩会、卒団式も無事に終わり、入学式もこなしてやっと新生活になった先週のこと。

 

国立科学博物館に行きました。

冬のミイラ展も行きたかったけれど、今回は宝石展へ。

石好きな息子の為のお出かけです。


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原石から、加工された宝飾品までとても素晴らしい展示でした。たぶん、ジュエリーになった宝石たちはその石の存在も細工も人を魅了するものなのですが。。。

私と子どもたちの好みとしては、圧倒的に原石!

ただの石や岩に見えるものが宝石だった感動。


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娘、このアメジストを棺にしたい、と。。。(棺って!火葬にできないじゃん・・)

でも、素晴らしいけど、外側は普通に岩ですので、その裏表の違いに感動です!

 

もちろん、特別展だけでなく常設展もしっかり見ますが。。。やはりコロナで地震震源地体験などはやっておらず、とても残念でした。

それでも、やはり日本を代表する博物館、展示の数も本物感も飽きのこない展示ですね。以前とは少しだけ展示が変わっていたので、そういったものも飽きない理由でしょうか。

 

以前は、体験ができたり、恐竜や剥製の見られる地球館が好きでしたが、何度も行くに連れて大好きになったのは日本館の建築です。


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中央のドーム型の天井も素敵だし、


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あまり人の通らない階段室の造りも本当に素敵。

とくにこの階段はいつ通っても人が居らず写真が撮れますが、このスポットは人気がでてもおかしくないのでは??(インスタ映え、じゃないの??)

 

今年、北陸の通称「ヒスイ海岸」に翡翠探しに行こうと思っています。

そんな話を会社や友人にすると、割と石の好きな人って多いみたいで、石の話で盛り上がることがあります。子供たちの好みなのに、同じ話題で話せるって楽しいですね。

 

今年は控えめに、なので、

子どもたちを中心にし、子どもたちが楽しめる1年になるようにしたいです。

 

 

 

 

 

進級、進学、思春期の子供との距離を考える

4月、息子は中学に入学しました。

子どもたち二人とも同じ学校になり、私は「中学生の母」になりました。

うれしいけれど、自分も年取ったと思うと、時の流れが早くて恐ろしくなります。。

 

2月後半からは、卒業対策委員として謝恩会の準備に追われ、追われすぎていろいろままならない状態でした( ´•௰•`) それに加えて、息子の精神的不安定・・・。

 

息子は担任の先生と合わないことで、小学校生活の半分を気持ちが不安定な状態で過ごしていました。その経験から、中学校への不安が多大になっていた部分もあるのだろうと思います。3月は本当に手を焼いていて、あと数日しか学校がないのに、昼頃にしか学校に行けない、サッカーの写真撮影もなかなか行けない。最後のイベントも行けない、という状態でした。

 

4月に入り、学校が始まってまだ3日しか経ちませんのでまだまだ分かりませんが、この3日間、とても普通に毎日を過ごしています。

今朝はお天気も良く、程よく温かく、「普通」って、こんなに平穏なんだって、なんだかとってもすがすがしい穏やかな気持ちで出社できました。

まだ宿題もないし、教科の勉強も始まっていなかったけど、「普通」に起きて、「普通」に行ってきますと家を出て、ちゃんと時間通りに登校して、学校でも大きなトラブルがない。って、たぶん、一般的なご家庭の当たり前の風景なのでしょうけれど、

うちにとっては、それはとんでもなく安心できる喜ぶ事なんです。

 

今の状態を見ていると、息子の力を信じて少し手を放してみようかと思います。

これまでも、パルクールや塾に関しては本人に任せていましたし、聞かれることを極端に嫌がるので、あまり話を聞きださないようにしていました。

中学生ですしあまり世話を焼かず、本人に任せてみても良いのかもしれないですね。

甘えてきたときだけ受け入れて、後は少しずつ普通の中学生男子と母親の距離感に戻していこうかな。

 

子どもたち、とくに息子に関しては、これまで本当に真剣にいろいろと向き合って、間違いを正してきて、たぶん根本的に間違った方向にはいかないと思うのです。

多少回り道して、曲がってしまったりはあると思うけれど・・。

大体、話を聞きださなくても、日頃の子供たちの態度を見ていると「何かあったのかな?」と思う出来事はあって、その様子に気付けたらそのタイミングで子供との時間を作ってあげて、話し出すまで少し様子を見る感じかな。(話さない気がするけど)

 

親の大変さって、ご飯作ったり、掃除したり、洗濯したり、仕事したりという実際の仕事じゃなくて、子どもたちの心に寄り添うことの方がずっと大変だなって、ほんと、ここ数年実感してる。寄り添いつつ、その子供によって距離感を縮めたり広げたり、その匙加減がむずかしい。自分が思う距離じゃなく、その子の成長にとって必要な距離感だからね・・。

 

うん、もし、何かがあって(たぶん息子の場合は先生と合わないとかかなぁ)学校に行けない状態になっても、子どもなりにもがいて苦しんで答えを見つけるだろうから、その支えになれるように、いつでも受け入れられる心のゆとりだけはなくさないようにしよう。