あまり時事ネタに意見はしないのですが・・・
さすがに小室圭さんと眞子さんの結婚会見のネット記事のコメントがひどいので、つぶやいてしまいます。
そもそも、親御さんのお金の問題も疑惑についても、それに関連して結婚を反対するのも、他人が意見することではないと思っています。
これは、著名人の不倫も同様。他人が誹謗中傷する筋合いではない、と。
皇室は税金で、というのであれば、もっと他に税金の使い方の批判はあるとも思うし。
公務はあるわけですし。批判すべきは、皇室費に充てられる金額の方であって、個の婚姻の問題ではないのではないかと思うのです。
心配しての意見なのはわかるけれど、相手は大人なんだし、心配だという気持ちを書くのはまだしも、なぜ人を、皇室を誹謗中傷する必要があるのかと疑問です。
ネットに書き込みをする人は、一部の人であり、それが多くの人の意見ではないと思う。が、少数であっても、書いた言葉は相手の心に残るもの。
この時代、ネットを見ない、ということもできないであろうし、スルーするのも難しいのだと思う。
事実がどうあれ、結婚することに他者が意見する必要もないし、もし、自分の子供たちが結婚するのなら、親として多少の援助もしたいと思うでしょう。そもそも元皇室の人間が安全性の担保されない場所に住まうわけにもいかないわけですし、家賃がいくらとかそのような情報を公にしなくてもいいのではないかと思う。
メディアの情報の開示の仕方が悪いように思うのだけれど。
そのメディアの人も人の購買をそそる、興味を持ってもらえる書き方をするわけで。
ネットニュースなんて、まさにそうですよね。内容を読んで後悔する記事がいかに多いか・・・。
結果、今の世の中が腐ってる、的なね・・・。
新型コロナの始まりから、テレワークや休校や外出自粛、経済的困窮などで、やはり人の心が荒んでいるように思えてならない。
人を批判する心の荒み方がある一方、ネット上の意見が大多数だと錯覚してしまう情報を受け入れる側の心。
先日、本を読んでいたところ、声をかけられました。
今時、紙の本を読んでいる人って珍しいですね、と。
同様に、今時、個人で「ブログ」を書いている人って珍しいですね。
私にとっては、両方とも自分の心と言葉を大切にするためのツールです。
本を読み、自分の思いを言葉に綴る、という行為を繰り返していると、問題点は他者ではなく自分の中にあることに思い至ります。
ネットやゲームや動画、テレビ、週刊誌では、情報を受け入れることはあっても、自分で思考することは少ないまま、その時の思いを衝動的に投げてしまうのでしょう。
皇室の方は、たぶん、一般の方とご結婚されても、ネットやテレビ、週刊誌から閉ざされた世界で過ごされた方が良いように思います。
きっと、それが「海外の拠点」だったのだと思うのですが・・。
なんでもWEBで見られて調べられて便利になった一方、人の心や思いや言葉はどんどん疎かになっている気がします。
「誹謗中傷禁止」「開示請求」などの罰則しばりではなく、
このような批判ばかりの時代に疲弊して、心や言葉を大切にする本やブログや何かしらの社会行動が増えていかないかしら。