息子の登校状況が思わしくない状況で、現在、一日おきの登校です。
日々思う。
先生個々は悪くはない。子供たちの事を思ってくれる先生もいる。
でも、列からはみ出す生徒をなくしていく教育って、本当に必要???
画一的に学ぶ必要性って何??
学校の話を聞くたびに、昭和の戦後のやり方的で、個を見ず集団を見ている気がしてならない。
私も、中学校は嫌いではあった。
1年生はこの靴じゃないと「目をつけられる」とか、必要以上に先輩にこびへつらうとか。勉強は嫌いじゃないけど、何その意味不明なルール・・って思っていた。
だから、部活もすぐにやめた。唯一、クラブ活動でやりたいことを見つけ、そのためだけに3年間を頑張った。
子供たちの通学する学校は、授業は簡単でつまらない。のに定期テストは難易度の高いものが出る。(授業ではやらないワークの応用問題とか)
成績は、8割はテストの点数なのだそう。
部活は、一部だけが真剣で優遇されていて、他はぐだぐだで、会議や先生の都合で当日なくなることが多々ある・・。
一部の部活で全国や世界を目指す子以外は、やる気の出ない学校な気がします。
クラスに2人くらいの割合で不登校の子がいて、問題のない娘でさえ、学校はつまらないという。
息子は、入学して3ヵ月になり、ぎりぎりのところで頑張っている気がしています。
登校できなければ、学校で問題を起こすなら、不登校でもいい。
笑顔がなくなってしまうなら、無理に学校に行かなくていい。
そう思う。
子供たち二人とも、「勉強することは嫌じゃない」「友達はいい」といいます。でも、学校は嫌い。と。
13-15歳の大事な時期を、「我慢すること」を学ぶための学校生活に使うのは本当にもったいないと思えてならない。
我慢することも大事だし、人と合わせることも必要だけど、それは「個性」をなくすことじゃあないと思うのです。個々の先生はそんなことはないとは思うのだけれど、中学校での指導、教育はとにかく「イレギュラーをなくし、全員同じことをする」前提で進んでいます。
多様性を認める時代において、その多様性を認めつつも、うまく折り合いをつけていく方法を学ぶものだと思っていたのに、学校の先生は多様性を認めるつもりはない、感じですね・・・。
フリースクールも考えているのですが、調べてびっくり。
民間のフリースクールはバカ高いのですね・・・。
それなら、今通っている個別指導塾で、教科を増やしたらそれでいいかな。と。
実は、学校のやり方に疑問があることは、連絡して、謝罪とともに学年、学校全体で改善をしてもらっているものもあります。・・このままでは、私、クレーマー保護者になりかねないのですが・・。
でも、学校としてすぐに改善に動けるというのは、クレーマーではなく、正論なのだろうと自分で考えているのですが・・・。
逆に、皆さんが学校のやり方に疑問がでないのか、不思議で仕方がないけれど。
ただ、担任、学年主任、副校長とやり取りしていて、子供からの話も聞いて思うのは、
先生方の力量不足はあるけれど、それ以上に管理職の力のなさな気がしています。
先生方の指導が真逆で、子供たちが困ってしまっているのです。教科の先生にある程度任せていたとしても、その先生方それぞれのやり方の違いによって、子供たちが注意をうけるというのはあってはならないと思う。
現実社会ではありうることだけれど、逆に指導として社会を見据えたものなのであれば、もうすこし子供たちに自由を与えて、さまざまな面において社会を見据えた指導をすべきと思う。
家庭でも、仕事でも、スポーツでも、「人を育てる」ことって本当に大変で、時間もお金もかかるものだと思う。教科書では教えられない子供たちの教育に大切なものを学ぶのが義務教育と思っていましたが、いまの教育に対して疑問ばかりが浮かんでくる。
先生方が大変なのも十分わかるけれど、先生方の忙しさの多くは現場をみていない上の方々の決めた「現場に則さない事務作業」な気もしている。
公立の中学校が、もう少し子供たちの個性を理解し、互いの個性を認め合い、協力し合い、深い関係性を結べる楽しい教育現場になってほしい。