吾唯足知☆シングルママの小さな幸せ☆

40歳で人生の転機を迎えたゆってぃの日々の出来事と心の成長の記録です

不登校解決の兆し

ちょうど、この前の記事をあげた土曜日の夜のこと。
私の誕生日に、元夫からプリザーブとケーキを、娘からはお手紙と共にかわいらしい文房具、会社からはとってもリッチな気分になれる香りのボディクリームをいただきました。


「(むすこ)くんからはないの??」と聞いてみたら。。。
「僕はちゃんと学校に行くのがプレゼントだから」と、にやっと笑っていました。


それは何よりだ♪と喜んでみたら、週明けの月曜日、本当に登校したのです。
びっくり!!この半年、ふらっと登校する日はありましたがこのところ行きそうな素振りは皆無だったし、学校以外の選択で本人にちゃんと考えてもらうためにどうしようかなと考えていたところでした。


その翌日は児童精神科の初の受診日。
病院に行ったからと改善はしないかもなぁと思ってはいたのですが、まずはトライ。と。

2時間、生い立ちからこれまでのトラブルの内容、現在の困り事などを話し、かなり細かい点まで突っ込んで話しました。幸い元夫が同席してくれたので、厳しく育てたことや離れて住む父親の気持ちとしても話をしてくれました。

元夫と先生の間での改善提案内容は理想的でしたが、現実的に毎日一緒に生活する私には息子に守らせるにはハードルが高すぎな内容でした。
その事を伝えた時に先生は、とても理解してくださりすぐに段階を踏むような提案に変えてくださいました。

それが、私がその児童精神科の先生を信頼した理由でした。

そして、先生は息子の不登校の原因として、ADHDの傾向があることがきっかけなのだけれど、学校以外の自分の居場所を私の会社に作ってしまったことで、学校に行かなくても居心地のよい環境を整えてしまったからだと指摘したうえで、息子に対し、投薬の提案をしてくれました。

「先生は基本的に色々な理由で学校に行けない子供たちに必ず行くようなことは言わない。でもあなたの場合は、行かない選択をするのはもったいない。お友達ともコミュニケーションが取れて、学習面でも問題がなく、いじめられたわけでもない。でも、少しだけみんなからの枠から外れた時に先生から注意されて怒られることがイヤなのであれば、その「枠から外れた時」をなくなるようなお薬を試してみようか?

薬を飲むといっても、病気なわけじゃない。あなたがつまらないと思っても、授業中は話を聞かなきゃいけない。とか、テストが終わった後は静かに待たなきゃいけない。とかそういう時に、何かやりたくなってしまって怒られちゃうから、その衝動を少し抑える薬なの。いらいらしたりも抑えてくれるから、まずはお薬を飲んで試してみて、イライラが抑えられたら、まずは家での生活を改善してみて、そこから少しずつゲームは平日頑張ったご褒美としてやるようにしていこうか」


確かに、私は息子が発達障害であろうがなかろうが、息子の気持ちに寄り添うことを主軸としてきたので、本人の特性の衝動性に関しては、服薬で抑えて周りに合わせるというよりも人に迷惑をかけずに対処する方法を教えようと思ってきていました。
大人の発達障害と思われる人と接してきた経緯から、治すとか周囲に合わせるよりも、本人の対処の仕方だと思ったのです。
中学生になって、本人の対処の仕方ではどうにもならなくなったのかな・・・。
さらには、どこにも居場所がなければ心が悲鳴をあげてしまうからと、彼の居場所を作ってきたし、非常事態宣言、コロナ禍と制限が多い中で快適に過ごせる自宅と会社を目指してきたわけで、それが学校に行こうと思う気になれない原因だと言われたら、ごもっとも。。。となりますね。。。


そんなわけで、投薬を開始して10日程、フルで登校し、塾も週に3日3時間、きっちり行っているのです。


初日は下校後不機嫌で、私にあたっていたので薬の効果というよりも本人の意識で頑張っているのかな、と思いました。2日目以降は不機嫌さはなく、素直に私の言葉を聞き入れているのと、副作用が出ているので薬効果は強いのだと思います。


・普段自分の予定を優先させる父親が病院に付き添ったこと。
・そこで父親の自分の責任であるような発言を聞いたこと。
・他者から学校に行かない不利益の話をきいたこと。
・医師から地頭の良さを指摘され、まだ間に合うと言われたことで自信になったこと。
・ハードルの高い目標値の設定から実現可能な目標値になりステップアップという道順を踏めそうなこと。
それらに合わせて、自分の問題の根元を薬で抑えることができるかもしれないこと。

理由を上げたらそんな色々が含まれるのだと思います。
今後どうなるのかはまだまだわかりませんが、何よりも息子の気持ちが切り替わったとこはかなり大きな出来事です。

私にとって新年は立春を迎えた2/4からであり、今年、色々と変化がありつつ、新しいことの始まりの年のような気がしています。